京都市西京区桂で、なすびを中心に栽培する日野裕也さん。紆余曲折を経た就農の経緯やなすびづくりのこだわり、農業に対する思いなど、自身が体現してきた「自分らしい農業」のあり方をご紹介します。
すべては「元気な根」から。日野さんのなすびづくり
キラキラとした夏の朝日を反射する桂川。河川敷に広がる農場では、西京区・桂の日野裕也さんが、早朝からなすびの収穫に汗を流していました。
「この時期は寝る間もないんですよ」と笑顔で語る日野さんは、インド出身の妻ソナリさんや両親とともに、約2千本のなすびを栽培しています。毎年2月から土作りをはじめ、4月中旬から定植を開始。6月初旬から10月末までは、収穫と出荷で大忙しの毎日です。
畑のある桂川沿いの土壌は、保水と排水のバランスが良く、また水路も整備されているためなすびの生育に不可欠な水が不足することもありません。米の栽培にも適した土壌のため、水稲と輪作することで連作障害を防ぐこともできるのだとか。
栽培の過程では、「地中にあるから普段は見えませんが、根の良し悪しが、実や茎に表れるんです」と、根の生育を重視する日野さん。根は、水や肥料よりも、酸素が不足することで生育不良が起こりやすいため、耕起の方法や肥料の選択においても、根に十分な酸素が行き届くことを優先しています。「根が元気であれば、味も収量も上がるし、病気にも強くなるんですよ」と教えてくれました。
自分の考え、自分のペースに合わせて
日野さんが農業をはじめたのは、27歳の頃です。兼業農家で育ったため、幼少期から米や野菜作りを手伝っており、成人後も自分で野菜を育て、アルバイト先のホテルに売りに行くこともあったのだとか。「自分で作ったものに、自分で値段をつけて売る」面白さに目覚め、農業を仕事にすることを決意します。
周囲には「儲からないから」と反対されましたが、ホテルを退職し、島根県の農業法人で1年間の研修に参加。その本気度が認められ、ようやく就農を許してもらうことができました。
念願の就農を果たしたものの、最初の3年間は思うように収入が得られない日々が続きました。転機となったのは、若手生産者が集まる「京都市農業青年研究会」への参加です。先輩から勧められた「なすび」を見よう見まねで栽培してみたところ、ようやく「これなら食べていける」という手応えを掴めたといいます。
こうして農業を軌道に乗せた日野さんですが、拠点とする西京・桂地域には生産者が少なくなっており、若手に限ればほとんどいないという課題があります。現在のほ場も、高齢で農作業ができなくなった方から借りているのだとか。「どの季節に何を植えるのか。どんな栽培をするのか。売上をどれぐらいにするのか。すべてのことを自分の考えやペースに合わせて決められる農業が自分に合っているから続けているだけなんですが、その結果として、地域の皆さんから感謝されているのなら、うれしく思います」と日野さん。JA京都市桂支部でも何かと日野さんを気にかけており、支部長の安田昌史さんも、時折ほ場に立ち寄り、声をかけます。地域では貴重な存在になった若手生産者の日野さんには、自然と期待が集まります。
見えない「根」を張る、真っすぐな生き方
農業経営が安定してきた日野さんの次なる目標は、インドから技能実習生を招き入れること。来年にはソナリさんの弟をはじめ、親戚3人が農業を学びにやってくる予定です。
そもそも、語学留学先のインドで出会ったソナリさんとの結婚は、両国の制度や文化の違いに約2年間も悪戦苦闘して、ようやく叶えたものです。「あれに比べたら、農業なんてめっちゃ楽」と言うほどの苦労を経験したからこそ、実習生の受け入れには特別な思いがあります。
「インドは日本よりはるかに厳しい競争社会で、残念ながら、他人を蹴落としてでも成功しようとする人がいることも事実です。でも以前、インドの義父がここで一緒に農業をやったとき、『日本は真面目に頑張れば、それだけの対価が得られる国なんだな』と言ってくれました。だからインドの若者たちにも、コツコツやれば報われるということを、日本の農業を通して知ってほしいんです」。そう言ってはにかむ日野さんを見ていると、「根という目に見えない部分が、目に見える部分に表れる」という言葉が、自然に思い出されました。
何かを所有したり、他人より多く消費するよりも、やりたいことにひたむきに取り組み、大切な家族を守る。そんなまっすぐな生き方の中でこそ、「自分らしさ」が育っていくのかもしれません。
日野裕也さん
京都市西京区桂の生産者。学生時代はバスケットに打ち込み、卒業後は異業種を経て就農。現在は桂川沿いの農地でなすびを含む野菜を中心に栽培。大のインド好きで、ヒンディー語も堪能。