「まつのをさん」の名で地域の信仰と親しみを集める松尾大社では、境内にある神饌田で毎年お米作りが行われています。この神事をサポートする神饌田保存会の荒木会長に、松尾大社との関りや地域の農業のあり方についてうかがいました。
松尾大社で行われる米作り
京都市の西に位置する嵐山エリア・松尾山のふもとにある松尾大社。渡来系氏族である秦氏が信仰し、平安遷都より古い歴史をもつ、京都最古の神社の一つです。酒の神が祀られていることや、「上古の庭」「曲水の庭」「蓬莱の庭」といった美しい庭園でも知られており、連日多くの参拝客が足を運びます。
毎年6月のある日、境内の一画につくられた「神饌田」が、にわかに賑わいを見せました。この日は「御田植式」という田植えが行われ、集まった地域の子どもたちの手によって、苗が次々と植えられていきます。
続いて7月には五穀豊穣を祈って「御田祭」が行われ、10月の「抜穂祭」で刈り取られた稲は、昔ながらの天日干しで乾燥させた後、脱穀と精米を経て松尾大社に供えられます。
「できたお米は松尾さんの新嘗祭やご祈祷の際に使われています。神饌田をもつ神社は限られていることもあり、平成から令和に代わった際の大嘗祭でも、ここの神饌田のお米が使われたと聞いています」と教えてくれたのは、「神饌田保存会」の荒木秀治会長です。
神饌田保存会には、現在地域の生産者を中心とする19名が在籍。いずれも松尾大社の氏子で、神饌田で行われる一連の神事・農作業をサポートすることが主な役割です。「昨年の収穫量は26kg。一昨年は45kgありましたが、大切なことは量よりも、毎年しっかりとお米を作り、松尾さんにお供えすること。そのために保存会のメンバーや松尾大社さんから協力をいただいています」。
生産者の手で神饌田を復活
桂川流域にある松尾大社はきれいな水に恵まれ、稲作に適した環境がありますが、松尾大社の神饌田は戦後の農地改革によって一時姿を消していました。神饌田の復活を願っていた松尾大社から相談が寄せられると、生産者や造園業者といった地域の人たちの手によって敷地の整備や土の入れ替えが行われ、2006年から御田植式が再開されることになりました。
約60年ぶりに復活を遂げた大切な神饌田を守り続けるべく、「神饌田保存会」が発足。初代会長の後任を務める荒木さんが、年間スケジュールの中で最も気を遣うのが、苗づくりです。
田植えには事前に育てた苗を使うことが一般的ですが、松尾大社では数年前から、伊勢神宮から送られるイセヒカリの種籾を育てて使うようになりました。そのため荒木さんたちは5月頃から約1か月に渡ってつきっきりで苗を育てます。「失敗したから別の苗を使うという訳にもいかないので、こまめに水をやりながら、常に生育状況を把握するようにしています」。
他にも、自身の農業との両立や、神事とのスケジュール調整をはじめ苦労することがあるそうですが、それでも続けられるのは、松尾大社への信心と親しみがあるからに他なりません。「松尾さんは、私たちが暮らす松尾地区だけでなく、洛西全体の氏神さんのような存在です。自分たちで作ったお米が新嘗祭で神様に供えられることが、私たち保存会の最大の喜びなんです」
農地がつなぐ松尾のコミュニティ
荒木さんたち保存会のメンバーは、毎年12月に松尾大社で行われる「西京農業祭り」にも参加。「米すくい」という出し物では、神饌田でつくられたものを含むお米を景品として提供しています。このほか、夏にも境内で野菜の即売会を行うなど、地域の農業にとって松尾大社はなくてはならない場所です。
松尾地区は、京都市内でも特に都市開発が進んでおり、住宅地の需要が増すにしたがって農地の転用が進み、専業農家の数は減少。さらに高齢化や農業離れの影響から後継者が不足し、相続のタイミングで農地を手放す人も少なくありません。
一方で、荒木さんたちのように例え部分的であったとしても農地を残し、農業を続ける生産者も少数ながら活動を続けています。専業農家のように収益を目標としていなくても、人々をつなげ、コミュニティを維持することは、特に都市部の農業に期待される大切な役割なのです。
「保存会のメンバーも機械を手放したり、農作業を外注するなど、年々水稲に携わる人が減っていることは事実ですが、それでも皆で協力し合うことができれば、神饌田はなんとか維持できると思っています。地区の長老の皆さんもまだまだ元気ですし、松尾さんでしか話せないこともありますから、今後もなんとかメンバーを増やして、活動を続けていきたいと思います」。
荒木秀治さん。松尾大社神饌田保存会2代目会長。華厳寺(鈴虫寺)とも古いゆかりがあるという荒木家では、水稲のほか野菜類、果樹類を栽培する。