都と農地の距離が育む京都の振り売り

振り売りは、平安時代にはじまった行商のスタイルと言われ、ざるや桶を天秤棒にぶら下げて歩いた様子がその語源とされています。都のあった大消費地と、豊かな土壌をもつ生産地が近接している京都では現在まで振り売りが定着しています。上賀茂の生産者として、現在はJA京都市の組合長として京都の農業に携わってきた戸田 秀司さんに、振り売りの歴史や現状について伺いました。

上賀茂、山科を中心に発展した振り売り

京都の振り売りは、上賀茂を中心とする洛北で盛んに行われてきました。京野菜の産地である洛北の農業は、伝統的に多品種栽培が中心です。お米や麦、すぐき、春野菜、夏野菜など、年間を通して換金可能な農産物を生産することで、振り売りが定着したとされています。

洛北では、男性が作った農産物を女性が売りにいくことが一般的です。売り先はそれぞれが開拓したため、必然的に農家間の競争が生じ、その競争意識が農産物の品質を高める役割を果たしました。
「売り手である女性が『昨日の野菜はおいしくなかった』『こんな野菜がほしい』といった声を売り先から聞いてきては、作り手である男性に発破をかけ、男性は負けじと工夫を凝らす。こうした構図が生まれたことで、京野菜全体のレベルもあがっていったと考えられます」(戸田さん)。
一方、山科でも西野山界隈を中心に振り売りが盛んに行われてきました。山科から売り先である洛中へ向かうには、途中で蹴上の峠を越えなければならないため、男性が振り売りの担い手になりました。

上賀茂・下賀茂、大宮・修学院といった洛北は三期作が可能な土地でした。洛北地域も山科も、計画的な作付けを行いながら多品種の野菜を供給してきたとされています。

都市構造・生活の変化とともに変化した振り売り

明治から戦後にかけての時代は、多くの家族・従業員を抱える商家が軒を連ねる西陣、室町、東山祇園あたりが主な売り先でした。明治時代まで主流であった天秤棒は、大正後期から昭和に入ると大八車になり、昭和30年代にはゴムタイヤのリアカーへと変わっていきました。
「毎朝7時、8時になると、上賀茂橋には野菜を満載したリアカーが数珠つなぎになっていました。新町から西陣あたりまでずっと下って、売り先を順に回り、夕方ごろ荷物を空にして帰ってきます。私も子どもの頃に、振り売りに行った祖母を迎えに行っては一緒にリアカーを押して帰ってきました。お小遣いもよくもらいましたね(笑)」と、戸田さんは当時を懐かしみます。

振り売りの歴史を間近に見てきた戸田さん

その後、戦後の経済復興を経て、京都市中心部の地価が高騰すると、勤め先は市中心部、住まいは郊外という「職住分離」が進みます。これに合わせて、振り売りの売り先も郊外の住宅地へと広がっていきました。
「その頃になるとミゼットのような軽自動車も使われるようになっていました。また、西洋野菜がどんどん入ってくるようになり、家庭の献立も大きく変わりましたから、品ぞろえもトマトやキュウリ、かぼちゃ、じゃがいもといった多品目の常備野菜が中心になっていきました」(戸田さん)。

写真は夏に収穫される京野菜の一例。京の伝統野菜を含め、レパートリー豊かな品ぞろえで家庭のニーズに応えてきました。

経済成長や人口増加にも支えられて、京都の振り売りは昭和45年頃に最盛期を迎えます。上賀茂では最大で200軒を超える農家が振り売りを生業とし、多品種・高品質な農業を更に発展させていきました。

振り売りの現在地

1970年代以降になると、核家族化が急速に進み、また女性の社会進出にともなって夫婦共働きというライフスタイルが浸透したことで、日中は家を留守にする家庭が増加しました。また、郊外を中心にマンションなどの集合住宅が増えたこともあり、振り売りは逆境の時代を迎えます。

その後も、現在に至るまで振り売りの市場は縮小し続けており、上賀茂の振り売り農家は約50軒にまで減少したといいます。長く振り売りを支えてきた60代、70代の生産者の後を継ぐ担い手が不足しており、また従来の多品目型から、効率重視の少品目型農業へとシフトしつつある生産者が増えていることも、逆風を強める要因になっています。

こうした課題がありながらも、戸田さんは「振り売りは一般的な市場出荷より高い収益が見込める」と、『作って売る』シンプルな流通スタイルの強みを強調します。「端境期をなくし、年間を通して品目や数量をキープするように計画的な作付けをすること、また20軒ほどの販売先を確保することができれば、十分成り立つのが振り売りの面白いところです」。

また、近年顕著な食への安全意識や地産地消へのニーズの高まり、スマートフォンやSNSの普及といった時代の変化も、振り売りにとってはプラス材料になっています。「振り売りの市場・担い手は減っていますが、スーパーなどの小売店では京野菜を含め、地元野菜はよく売れています。京都の市場に高い購買力があることに加え、伝統的に地産地消文化が色濃く残っていることがその要因であると分析しています。
遠くの地方からくる安価な野菜より、完熟して味も栄養も良く、安心感もある京都の野菜に価値を見出す。こうした認識が広まることが、振り売りの今後にとっても重要であると考えています」。

「京都の地産地消を支えてきた振り売りを残すには、京野菜の付加価値を知ってもらうことが大切。そのために仕組みづくりに取り組んでいきたいと思います。」(戸田さん)。

京都市農業協同組合
代表理事組合長
戸田 秀司さん

上賀茂地域で賀茂なすやすぐき漬けを中心に25品目を栽培。
上賀茂特産野菜研究会や洛北農業クラブの創設など地域農業の活性化に尽力。2015年から京都市農業協同組合代表理事組合長に就任。

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